漫画描くぞ絵を描いている場合ではない

※今日は漫画の描き方について私感をウニャウニャ書いてますがネットに転がる個人のハウツーなんて全て有毒くらいに思って読んでください(私はそう思っています)

 

ネームを捏ね続けています。

「漫画は絵が上手くなくてもいい」

とは漫画を描き始めた人間をビビらせる定番のフレーズですが

実際に描いてると下手な漫画だろうがなんだろうが言いたいことはわかってきます。

↑こういうプロットがあったとして

色々なパターンのネームが考えられます

ネームによって作画難度は全然違います。

つまり作業時間が変わる。

ところが読む側として読む速度は同じじゃないですか?

漫画が読まれるスピード、タイムラインはプロットが制御しているので絵の巧さはほとんど影響しないと思うんですよね。だから冒頭のフレーズは、絵だけ上手くなっても物語は動かせないよという意味で言われてるんだと思っています。

えー上手い絵は魅力だしじっくり見ちゃうよ、と言われそうですがそれは「一時停止」であって「読まれるスピード」とは違うと思います。物語が読まれるスピードとは映画でいえば再生時間です。

だから美しい絵は美しい俳優みたいなものかもしれません。俳優が美しくて目を奪われる体験は時間の密度を高めますが、美しさでは脚本も演出も変えられません。(まあ雇えるなら欲しいですけどね、美しい俳優。)

絵が上手いからこそ台詞を使わず絵で表現できるじゃないかとも言えますがそれはまずプロットの力ありきなので、実はやっぱりプロットの巧さじゃないか、と思います。

イラストが超上手い人で得意なアングルや構図の引き出しがあっても漫画となるとそれありきで作ることはできないので….。

 

漫画的な絵の巧さってなんでしょう…

 

具体例として、たわいない雑談の掛け合いを最高に美しく描くのは沙村宏明先生だなと思います。マジでどうでもいい会話にこれでもかと「か、描けねー…」というカメラアングルを連発して謎のグルーヴが生まれる感じが最高です。

顔漫画になっちゃうよーというときの参考におすすめします。

 

最後に

AKIRA原作をたまに読み返すと文字数が記憶の半分くらいでビビる。

 

MT